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コシノジュンコさんの家系図や家族構成を詳しく知りたい方に向けて、この記事では親族一人ひとりの関係性と背景を丁寧に解説しています。
コシノジュンコさんは日本を代表するファッションデザイナーであり、母の小篠綾子さん、姉のコシノヒロコさん、妹のコシノミチコさんとともに「コシノ三姉妹」として知られています。
この記事では、コシノジュンコさんの父母をはじめとする直系の家族だけでなく、曽祖父の隅谷小一郎さんや祖母のハナさんといった先祖に至るまで、家系図に登場する人物を本人から見た親等関係とともに紹介しています。
目次
コシノジュンコの家系図!
コシノジュンコさんは、日本を代表するファッションデザイナーであり、母の小篠綾子さん、父の小篠武一さんのもとに誕生しました。母方の祖父母である小篠甚作さんとハナさんは、大正から昭和にかけて家族を支えた人物であり、夫の鈴木弘之さんとの間には長男の鈴木順之さんがいます。こうした血縁関係を軸に、コシノジュンコさんの家系には多くのクリエイティブな才能が連なっています。
それでは、コシノジュンコさんの家族構成について詳しく見ていきましょう。
コシノジュンコの家族構成について
- 祖父:小篠甚作(3親等)
- 祖母:ハナ(3親等)
- 母:小篠綾子(1親等)
- 父:小篠武一(1親等)
- 長姉:コシノヒロコ(2親等)
- 本人:コシノジュンコ
- 妹:コシノミチコ(2親等)
- 夫:鈴木弘之
- 長男:鈴木順之(1親等)
祖父:小篠甚作(3親等)
小篠甚作は、コシノジュンコの母方の祖父にあたり、本人から見て3親等の血族にあたります。職業は呉服商・雑貨商であり、大正から昭和初期にかけて家業を営んでいた人物です。
甚作さんは、かつて大阪府堺市の鳳にあった隅谷家に出入りしていた呉服屋の店員でした。そこで隅谷家の令嬢であるハナと関係を深め、後に結婚します。結婚に至る経緯は必ずしも順風満帆なものではなく、隅谷家の娘と関係を持ったことで勤め先を解雇されたと推測されており、その後、妻となるハナを連れて郷里である兵庫県加西郡西在田村若井(現在の加西市)に戻りました。
生活は決して裕福ではなく、「耕す土地さえ持たなかった」と記されていることからも、当時の生活は非常に苦しかったことがうかがえます。出稼ぎに出ていた可能性もあり、家庭を支えるために様々な努力を重ねていたと考えられます。昭和19年に亡くなっています。
祖母:ハナ(3親等)
ハナは、コシノジュンコの母方の祖母で、本人から見て3親等の血族です。明治22年に、大阪府堺市の名家・隅谷家にて隅谷小一郎とその妻・リエの長女として誕生しました。
彼女は、呉服屋で働いていた小篠甚作と結ばれ、生活の拠点を兵庫県加西郡西在田村若井に移しました。結婚当初から環境は厳しく、夫の甚作が失職した後は、姑のよねとともに質素な暮らしを強いられました。その中で、娘の小篠綾子を出産します。
ハナさんが家族に込めた思いは深く、娘に「綾子」と名付けた背景には、「一生、糸偏産業で食べていけるように」という願いが込められていました。この名に象徴されるように、ハナさんの家庭への想いや信念は、やがて3世代にわたり受け継がれていくこととなります。
隅谷家は「他人の土地を踏まずとも隣町まで歩いて行ける」と評されるほどの庄屋の一族であり、ハナさんもそうした家系の中で育まれた芯の強さと気品を持ち合わせた女性であったと推察されます。
母:小篠綾子(1親等)
小篠綾子は、コシノジュンコの実母で、本人から見て1親等の血族にあたります。ファッションデザイナーとしてだけでなく、「コシノ洋装店」の経営者としても知られ、昭和から平成にかけて日本の女性の社会進出を体現した存在です。
綾子さんは大正2年(1913年)に、兵庫県加西郡西在田村若井で生まれ、3歳のころに大阪府岸和田市へ移りました。旧制・岸和田高等女学校(現・大阪府立和泉高校)を3年で中退し、若くして裁縫の腕を磨きながら生計を立てました。その後、自らが創業した「コシノ洋装店」を一代で軌道に乗せ、女手ひとつで3人の娘を育て上げた実績は、多くの人に勇気を与えました。
綾子さんの娘たちはいずれもファッションデザイナーとなり、長女がコシノヒロコ、次女がコシノジュンコ、三女がコシノミチコとして「コシノ三姉妹」として広く知られるようになります。この三姉妹が国際的に評価されるデザイナーとして成長した背景には、母である綾子さんの厳しくも愛情深い教育と、商才に裏打ちされた生活の基盤がありました。
1987年には自らのブランド「アヤココシノ」を発表し、ファッションの最前線に立ち続けました。また、綾子さんの生涯は、NHKの連続テレビ小説『カーネーション』(2011年度下半期)のモデルにもなり、主人公の小原糸子を通じて、多くの視聴者に感動を与えました。
2006年に死去した後、岸和田の実家で営んでいた「コシノ洋装店」は、定食屋「おばんざい アヤコ食堂」として再出発し、現在も地域に根ざした存在となっています。
父:小篠武一(1親等)
小篠武一は、コシノジュンコの実父で、本人から見て1親等の血族にあたります。もともとは「川崎」姓でしたが、結婚を機に小篠家に婿養子として入り、「小篠武一」と名乗るようになりました。
武一さんは、紳士服のテーラーとして働いており、当時の日本において西洋服の技術を持つ職人は貴重な存在でした。そのため、洋裁の技術を活かした仕事に就きながら、家族を支えていました。しかし、家族と過ごした時間は長くは続かず、第二次世界大戦中に出征し、昭和20年に中支(現在の中国大陸内陸部)で戦病死しています。
彼が亡くなったことで、妻の綾子さんは一人で幼い三姉妹を育てることになります。この出来事は、家族の運命を大きく左右し、後のコシノ三姉妹の原点ともいえる強い母娘の絆が築かれるきっかけとなりました。
武一さんの死後も、その存在は綾子さんや娘たちの心の中で生き続けたといえるでしょう。コシノジュンコが持つ芯の強さや自己表現へのこだわりには、父親譲りの感性と職人気質が少なからず影響していると考えられます。
長姉:コシノヒロコ(2親等)
コシノヒロコは、コシノジュンコの長姉にあたり、本人から見て2親等の血族です。昭和12年(1937年)生まれで、大阪府岸和田市を拠点に活動する世界的ファッションデザイナーです。
ヒロコさんは岸和田高等学校を卒業後、東京の文化服装学院へ進学しました。そこでファッションデザインの基礎を学び、その後のキャリアに大きく影響を与えることとなります。1982年には、日本の伝統文化を取り入れた着物テイストの作品でパリ・コレクションにデビュー。これを皮切りに、国際的な舞台で活躍する日本人デザイナーとして地位を確立しました。
特に注目すべきは、ロンドン五輪・リオ五輪で体操日本代表のユニフォームデザインを手がけた点です。これは単なる服飾デザインにとどまらず、国を代表するチームの“顔”を創るという意味でも非常に大きな仕事であり、日本の文化や美意識を世界に発信する重要な役割を果たしました。
また、音楽活動にも関わっており、自ら作詞を担当した楽曲「名もなき花よ」(作曲・歌唱:河口恭吾)は、NHKドラマ『天使のわけまえ』の主題歌として採用されました。このように、ヒロコさんは多才な一面を持ち、ファッションを超えて文化全体に影響を与える存在です。
私生活では、学習院大学に通っていた松島久三郎さんと結婚し、二人の娘(由佳・由実)をもうけました。のちに離婚し、現在の夫は手打ち蕎麦屋「むら玄」を営む元写真家の村上煕さんです。長女・由佳さんは「ヒロココシノ」社長、次女・由実さん(ゆま)は副社長としてファッション事業に携わっており、母娘3代にわたるデザインの継承がなされています。
本人:コシノジュンコ
コシノジュンコは、日本を代表するファッションデザイナーであり、コシノ三姉妹の次女として1939年8月25日に大阪府岸和田市で生まれました。本人から見て、家系図の中心人物であり、母・小篠綾子、長姉・コシノヒロコ、妹・コシノミチコとともに、日本のファッション史に深く関わる存在です。
文化服装学院では、姉と同様にファッションデザインを学び、2年制の基礎コースを1年で修了するという飛び級の成果を収めました。その後、小池千枝さんの指導のもと、デザイン科に進みます。在学中の1960年、わずか19歳で装苑賞を受賞し、プロとしてのキャリアをスタートさせました。
1966年に東京・青山にブティック「COLETTE」を開店し、1978年にはパリ・コレクションに初参加。以降、北京、ベトナム、キューバ、ミャンマーなど世界各地でショーを開催し、国際的な評価を得てきました。特にキューバやミャンマーなど、日本人や外国人デザイナーが初めて進出する地においても、精力的に活動を展開しています。
テレビ番組の衣装デザインも手がけており、1983年にはフジテレビの『オレたちひょうきん族』で、明石家さんまさん演じる「アミダばばあ」の衣装を担当しました。この作品は、タレント衣装としては異例の高額で、注目を集めました。
さらに、2000年の九州・沖縄サミットでは、各国首脳とその夫人の衣装をデザイン。2021年には、フランス政府からレジオンドヌール勲章シュヴァリエを受章し、2022年には旭日中綬章も授与されました。
プライベートでは、写真家であり、JUNKO KOSHINO株式会社の代表でもある鈴木弘之さんと結婚。長男の鈴木順之さんは、同社の常務取締役として事業を支えています。
ファッションだけでなく、教育、メディア、芸術など多方面にわたる活動を通して、コシノジュンコさんは「日本の文化の顔」として世界にその存在を発信し続けています。
夫:鈴木弘之
鈴木弘之は、コシノジュンコの夫であり、長年にわたって彼女の創作活動と企業運営の両面を支えてきた存在です。職業は写真家であると同時に、「JUNKO KOSHINO株式会社」の代表取締役を務めています。
鈴木さんは、国内外で写真展を開催するなど、アーティストとしても評価を受けており、その作品は人物写真やドキュメンタリー性の高い内容が中心です。特にファッション業界との接点が多く、被写体として著名人を撮影するなど、その感性はジュンコさんのデザイン活動とも深く響き合っています。
2人がどのように出会い結婚に至ったかについての具体的な情報は多くは残されていませんが、コシノジュンコの活動がグローバルに広がっていく過程で、鈴木さんが経営とビジュアル表現の両面から彼女を支えたことは明らかです。企業経営の面では、ジュンコさんのブランドを国内外に展開させるにあたり、パートナーとしての実務的な役割も担ってきました。
また、2人の間には一人息子の鈴木順之さんが生まれており、現在は「JUNKO KOSHINO株式会社」の常務取締役として後継ぎの立場で経営に参画しています。ファッションと経営、芸術と家庭が交差するこの一家において、鈴木弘之さんは支柱のような役割を果たしてきた人物です。
妹:コシノミチコ(2親等)
コシノミチコは、コシノジュンコの妹にあたり、本人から見て2親等の血族です。三姉妹の末っ子として大阪府岸和田市に生まれ、姉たちと同じくファッションの道を歩み、日本のみならず世界的にも高い評価を得ているデザイナーです。
ミチコさんは、松蔭女子学院短期大学を卒業後、文化服装学院に進み、服飾デザインの道へ進出しました。その後、ロンドンを拠点にブランド「ミチコロンドン(MICHIKO LONDON)」を設立し、日本人女性として初めてイギリスのファッション業界で成功を収めました。特に1980年代から90年代にかけては、パンク・ストリートカルチャーを背景としたアヴァンギャルドなスタイルで、ロンドンの若者を中心に人気を博しました。
彼女の作品は、単なる服飾にとどまらず、音楽やアートとの融合を図るなど、ジャンルを横断した独自のクリエイションが特徴です。また、企業やスポーツチームとのコラボレーションも積極的に行い、デザインの枠を広げています。
家族関係としては、姉・ヒロコとジュンコとともに「コシノ三姉妹」として広く知られており、それぞれが異なるスタイルと個性を持ちながらも、互いに刺激を与え合う関係を築いてきました。ミチコさん自身も結婚歴があり、姉妹全員が2度の結婚を経験しているという共通点があります。
コシノミチコさんのキャリアは、海外での挑戦や革新的なスタイルによって、日本のファッションに新しい風を吹き込む役割を果たしてきました。
長男:鈴木順之(1親等)
鈴木順之は、コシノジュンコの長男で、本人から見て1親等の血族にあたります。ファッション業界の名門に生まれ育ち、現在は「JUNKO KOSHINO株式会社」の常務取締役として、母・コシノジュンコのブランドを支える重要な存在です。
順之さんは、創業者である母の背中を見て育ち、自然とファッションビジネスの世界に関心を持つようになりました。デザイナーとしてではなく、企業経営の視点からブランドを成長させる役割を担っており、国内外に広がる「JUNKO KOSHINO」の活動を支える中核メンバーの一人です。
経営者としての彼の特徴は、伝統あるブランドの理念を守りつつも、次代に対応する柔軟さにあります。母の大胆な創造性を活かすため、経営面では安定と発展を両立させる方針を重視しており、ブランド価値の維持向上に努めています。また、近年のファッション業界において重要視されるサステナビリティやグローバル展開といった課題にも、順之さんは戦略的に取り組んでいます。
母との関係については、テレビ番組などでも語られることがあり、順之さん自身が「偏っている親だった」と表現するように、ユニークかつエネルギッシュな母とのエピソードは視聴者に印象を残しています。仕事上でもプライベートでも、母子の間には強い信頼関係が築かれており、共にブランドを育てるパートナーのような関係です。
コシノジュンコという国際的なブランドを未来に受け継ぐ後継者として、鈴木順之さんは経営の第一線で活躍を続けています。彼の存在は、コシノ家の家系における次世代の要として非常に重要な位置を占めています。
コシノジュンコと親戚関係の人物について
- 姪:小篠由佳(3親等)
- 姪:小篠ゆま(3親等)
- 義母:一般の方(2親等)
- 義父:一般の方(2親等)
姪:小篠由佳(3親等)
小篠由佳は、コシノジュンコの姪にあたり、本人から見て3親等の血族です。母はコシノジュンコの長姉であるコシノヒロコで、由佳さんはその長女として1961年(昭和36年)に生まれました。
幼少期からファッションに囲まれた環境で育った由佳さんは、松蔭女子学院短期大学を卒業後、母・ヒロコが率いる「ヒロココシノ」ブランドの事業に携わるようになります。若い頃から母の秘書やプレス担当として仕事を任され、業務の裏方としてブランド運営の実務を支えてきました。
1990年代からは「ヒロココシノ」ブランドの中核に立ち、専務職を経て、2016年9月に代表取締役社長に就任しました。現在では経営の第一線に立ち、コーポレート戦略やブランドビジョンの推進に取り組んでいます。母・ヒロコのクリエイティブな才能と、由佳さんの経営手腕がバランスよく融合し、ブランドの安定的成長を実現している点が評価されています。
プライベートでは中村正則さんと結婚しており、政界とのつながりもある家庭を築いています。そのため「代議士秘書夫人」という一面も持ち合わせており、ビジネスと家庭の両立に尽力していることがうかがえます。
小篠由佳さんは、コシノ家の中でもビジネス面に特化した役割を果たしており、ファッション業界と経営の橋渡し役として大きな存在感を放っています。
姪:小篠ゆま(3親等)
小篠ゆまは、コシノジュンコの姪で、本人から見て3親等の血族にあたります。母はコシノヒロコの次女であるコシノ由実で、ゆまさんは「小篠ゆま」の名でファッションデザイナーとして活動しています。
昭和43年(1968年)に生まれたゆまさんは、松蔭短期大学を卒業後、東京の文化服装学院デザイン科で本格的に服飾を学びました。祖母の小篠綾子、母のヒロコ、そして叔母であるジュンコやミチコという著名なファッションデザイナーたちの影響を強く受けながら、自身の美意識を育てていきました。
1998年には、自身のブランド「YUMA KOSHINO(ユマコシノ)」を立ち上げ、若手デザイナーとして独立。現代的で洗練されたシルエットと、女性らしさを大切にしたデザインで高い評価を受け、国内外のコレクションで注目される存在となりました。また、「ヒロココシノ」ブランドでは副社長も務めており、母・姉とのファミリーチームでブランド経営と創作活動を両立しています。
ファッション業界においては、家族の名声に頼ることなく、ゆまさん自身の実力で評価されていることが特筆されます。デザインに対する真摯な姿勢と、伝統と革新を融合させるスタイルは、多くのファンを惹きつけています。
小篠ゆまさんは、まさに「三代目のクリエイター」としてコシノ家のDNAを引き継ぎつつも、自分らしい表現で新たな時代を切り拓いています。
義母:一般の方(2親等)
コシノジュンコの義母は、夫である鈴木弘之の母親にあたり、本人から見て2親等の姻族にあたります。名前や具体的な経歴については記録されていませんが、その人物像を想像するうえで、家系の背景や夫の職業を通じて一定の情報を推測することができます。
義母の息子である鈴木弘之さんは、写真家として活動する一方で、ファッションブランド「JUNKO KOSHINO株式会社」の代表取締役も務めています。芸術的感性と経営的視点の両方を併せ持つ人物であり、そのような才能は家庭環境の影響も少なからずあると考えられます。
また、ジュンコさんとの家庭においては、義母は義理の娘の活動を陰ながら支え、息子夫婦の成功を静かに見守っていた存在であった可能性があります。義母としての立場から、コシノジュンコの挑戦を温かく理解し、励まし続けた存在であったのではないでしょうか。
人物の詳細なプロフィールは明らかではありませんが、次世代である孫・鈴木順之さんも家業に関わっていることから、家族全体として創造と経営の文化が根付いている家庭で育まれてきたことは間違いありません。
義父:一般の方(2親等)
コシノジュンコの義父は、夫・鈴木弘之の父親にあたり、本人から見て2親等の姻族に該当します。義父の個人名や職歴に関する詳細な情報は明かされていませんが、家庭の背景や息子の人物像から、その影響力をうかがい知ることができます。
鈴木弘之さんは、写真家として表現活動を行いながら、「JUNKO KOSHINO株式会社」の経営者としても実績を持つ人物です。感性と行動力を兼ね備えたその姿勢には、父親から受け継いだ価値観や教育方針が色濃く反映されていると考えられます。
義父は、ファッション界で名を馳せるコシノ家に迎え入れられたジュンコさんにとって、精神的な支柱でもあった可能性があります。直接的なビジネス関与の記録はないものの、家庭の中で築かれた信頼関係が、夫婦間や親子間にも良い影響を与えていたと見られます。
また、孫である鈴木順之さんも家業に携わっており、義父からは三世代にわたる価値観の継承という意味で、大きな影響を残したといえるでしょう。個人の足跡は静かでも、その存在は確実に家系の礎の一部となっています。
コシノジュンコのご先祖様・歴史上・遠い親戚などの人物
- 先祖:隅谷小一郎
- 先祖:リエ(旧姓・田川)
先祖:隅谷小一郎
隅谷小一郎は、コシノジュンコの母方の曽祖父にあたり、家系の中でも特に由緒ある人物です。明治時代、大阪府堺市鳳(おおとり)に広大な土地を有する名家「隅谷家」の当主として知られていました。
小一郎さんは、庄屋の家柄に生まれ、当時の村社会において強い影響力を持っていました。家は「他人の土地を踏まずに隣町まで歩いて行ける」と言われるほどの規模を誇り、土地所有者としてのみならず、地域経済や社会にも深く関わっていたと考えられます。また、当時としては非常に進歩的な教育観を持っていた可能性があり、家族の中でも特に女子教育に理解があったようです。
隅谷家には多数の使用人がいたことからも、小一郎さんの財力と統率力がうかがえます。娘のハナをはじめ、その後の世代にわたって学問や技術を重視する家風が育まれた背景には、小一郎さんの価値観が大きく影響していると見ることができます。
また、後にハナが呉服屋の小篠甚作と結婚し、家族が岸和田へと移り住むことで、小一郎さんの家系は時代の変化に応じた道をたどることになります。伝統的な豪農の家柄から、ファッションという現代的な文化を担う家系へと変遷する過程には、小一郎さんが築いた基盤が深く根ざしています。
先祖:リエ(旧姓・田川)
リエは、コシノジュンコの母方の曽祖母であり、隅谷小一郎の妻として隅谷家の家業と家族を支えた人物です。旧姓は田川で、こちらも由緒ある家柄と見られています。彼女は当時の日本の女性としては高い教養と品位を備えていたと考えられ、隅谷家の内助の功として欠かせない存在でした。
リエさんは、夫・小一郎とともに堺の名家を切り盛りし、使用人を数多く抱える大所帯を取りまとめる立場にありました。家族の中で重要な決定を下す場面にも立ち会っていたとされ、実務能力と人格的信頼の厚さがうかがえます。
彼女が産んだ長女・ハナは、後に小篠甚作と結ばれ、娘・小篠綾子を通じて「コシノ三姉妹」の祖となる家系を築きました。リエさんの教育的影響は、直接的ではなくとも、孫の代、ひ孫の代にまで続く「しっかりとした女性を育てる」気風として息づいているように見受けられます。
時代背景からして、明治から大正期にかけての女性が公に活動することは少なかったものの、家の中におけるその存在感は絶大であり、隅谷家の繁栄と安定は、リエさんの支えによって成り立っていたといえるでしょう。
彼女の静かで確かな生き方が、やがて日本のファッション界に名を残す女性たちを生み出す土壌となったことは、家系をたどるうえで非常に象徴的な出来事です。
コシノジュンコの家系図まとめ
- 小篠甚作:祖父(3親等) – 呉服商として働き、苦労の末に家族を支えた人物。
- ハナ:祖母(3親等) – 庄屋の家に生まれ、娘に糸偏産業の願いを託した女性。
- 小篠綾子:母(1親等) – コシノ洋装店を創業し、三姉妹を育てた名デザイナー。
- 小篠武一:父(1親等) – 紳士服のテーラーで、戦中に戦病死した職人気質の人物。
- コシノヒロコ:長姉(2親等) – 国際的に活躍するファッションデザイナーの先駆け。
- コシノジュンコ:本人 – 世界各地でショーを開催する日本を代表するデザイナー。
- 鈴木弘之:夫 – 写真家であり、ブランド経営を支えるパートナー。
- コシノミチコ:妹(2親等) – ロンドンを拠点に活躍する革新的なファッションデザイナー。
- 鈴木順之:長男(1親等) – ブランド経営の中心を担う実務家で後継者。
- 小篠由佳:姪(3親等) – ヒロココシノ社長として経営面をリードする存在。
- 小篠ゆま:姪(3親等) – ユマコシノのデザイナーとして三代目の創造性を発揮。
- 一般の方:義母(2親等) – 芸術家一家を陰で支えたとされる義理の母。
- 一般の方:義父(2親等) – 芸術と経営の価値観を息子に伝えたとみられる義理の父。
- 隅谷小一郎:先祖 – 堺の庄屋として一家を率いた名家の当主。
- リエ(旧姓・田川):先祖 – 隅谷家の支えとなった品格ある女性。