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「徹子の部屋」でお馴染みの黒柳徹子さんの家系図をピックアップ!
教養豊かで抜群のトーク力を持つ黒柳徹子さんですが、家系図を掘り下げていくと、親戚が芸術の名家だったことが判明しました。
圧巻の遺伝子を誇る黒柳徹子さんの家系図をチェックしていきましょう!
目次
黒柳徹子の家系図!
こちらが黒柳徹子さんの家系図になります。
NHK交響楽団の首席ヴァイオリニストを務めた父・黒柳守綱さんなど、豪華な面々が家系図に名を連ねていますよね!
娘に文学の才能を叩き込んだ母・黒柳朝さんなど、芸術界の超有名人がズラリとそろっている黒柳徹子さんの家族構成を確認していきましょう。
黒柳徹子の家族構成について
- 父 :黒柳守綱
- 母 :黒柳朝
- 兄 :黒柳明児
- 本人:黒柳徹子
- 長弟:黒柳紀明
- 長妹:黒柳眞理
- 次弟:黒柳貴之
こちらが黒柳徹子さんの家族構成です。
本人を含めて兄弟姉妹が5人で育ったが分かっている黒柳徹子さんですが、両親以外の家族の情報はベールに包まれていましたよね。
さらに、黒柳徹子さんが結婚しない理由など、気になる話題を掘り下げていくので、どうぞお楽しみに!
父:黒柳守綱
1909年生まれの父・黒柳守綱さん。
娘の黒柳徹子さんが入社したNHKの交響楽団(新交響楽団)出身で、首席ヴァイオリニストとして公演全体を統率する”コンサートマスター”を歴任しました。
若い頃に第二次世界大戦を経験している父・黒柳守綱さんはシベリア抑留者でもあり、不戦を誓う娘・黒柳徹子さんの生き様に大きな影響を与えています。
本名は「田口守綱」で、結婚した時に黒柳家へと養子入りしました。
母:黒柳朝
1910年9月6日生まれで、北海道空知郡滝川町出身の母・黒柳朝さん。
実家は松山藩の家臣だったことが分かっていて、エッセイストとしてドラマ化した著書「チョッちゃんが行くわよ」などを発表しました。
思慮深い性格の母・黒柳朝さんの考え方を娘・黒柳徹子さんは十分理解しており、文才豊かな面も母から譲り受けています。
兄:黒柳明児
黒柳徹子さんには2歳年上の兄・黒柳明児(くろやなぎ・めいじ)さんがいたことが分かっています。
ただ、兄・黒柳明児さんは9歳の時に敗血症で他界しており、黒柳徹子さんも兄との思い出はほとんど覚えていないとのこと。
当時の日本は戦時中で医療体制も万全じゃない状況だったので、兄・黒柳明児さんと死別したことも黒柳徹子さんの不戦の思いを強くするきっかけになったはずです。
本人:黒柳徹子のプロフィール
- 1933年8月9日生まれの東京都港区赤坂出身
- 小学1年生で学校を中退するなど、幼少期から破天荒な生き方をしていた
- NHK放送劇団に加入し、女優デビュー
- 日本のテレビ放送開始日(1953年2月1日)から芸能界で活躍
- 1984年からユニセフ親善大使を務め、世界平和の実現に尽力
「徹子の部屋」や「ザ・ベストテン」「世界ふしぎ発見」など、地上波の長寿人気番組で活躍している黒柳徹子さん。
ヴァイオリニストだった父・黒柳守綱さんの影響を受ける形で東京音楽大学へと進学し、オペラ歌手になることを夢見ていました。
しかし、周囲のレベルの高さを実感していた黒柳徹子さんはオペラ歌手の夢を断念して、声の良さを活かす仕事(ナレーターや声優)に挑むため、NHK放送劇団へと加入。
NHK放送劇団のオーディションを勝ち抜いてからはとんとん拍子で出世していき、紅白歌合戦の司会抜てきなど、数多くの大役を務めてきました。
黒柳徹子が結婚しない理由
黒柳徹子さんは「タイミングが合わなかったから」という理由で結婚していません。
20代の頃はモテモテだったそうで、色々な男性と交際しており、プライベートも充実していたとのこと。
でも、売れっ子タレントになったことで仕事が多忙となり、プライベートに時間を割けなくなったため、結婚するタイミングを逃してしまったようです。
また、一番好きだった彼氏が他界したことも独身を貫く理由になっていて、恋愛することに臆病になってしまったみたいですね。
結婚を意識していた彼氏と死別する、という辛い経験をしたことで結婚への価値観も変化していき、独身のままでも大丈夫!と思うようになったのかもしれません。
長弟:黒柳紀明
父・黒柳守綱さんと同じヴァイオリニストで、NHK交響楽団の元団員でもある長弟・黒柳紀明さん。
ベルリン芸術大学への留学経験もあるエリートですから、父・黒柳守綱さんの音楽家の才能を受け継いでいるのは間違いないでしょう。
フロイデフィルハーモニーにて、第二ヴァイオリンのトップを任された実績もあるので、長弟・黒柳紀明さんの実力も相当なものだったはずです。
長妹:黒柳眞理
怪我でバレリーナの道を断念した後、エッセイストや美容師として活躍している長妹・黒柳眞理さん。
北海道札幌市を活動拠点にしていて、現地の美容院で働いているとのこと。
20歳の時にプロ野球選手・井石礼司さん(ロッテ・広島)と結婚したものの、39歳で離婚を決断していて、現在も独身を貫いています。
次弟:黒柳貴之
父・黒柳守綱さんが49歳の時に誕生したのが次弟・黒柳貴之(くろやなぎ・たかし)さんでした。
母・黒柳朝さんも年齢47歳だったので、高齢出身で誕生したことになりますね。
1998年に覚せい剤取締法違反で逮捕された?と噂されたものの、真相は分かっていません。
黒柳徹子と親戚関係の人物について!
- 父方の祖父:田口潔矩
- 伯父:田口修治
- 母方の曽祖父:門山周智
- 母方の祖父:門山周通
こちらが黒柳徹子さんの親戚関係一覧です。
音楽家の父・黒柳守綱さんだけでなく、両親の祖父や曾祖父も超有名人だったことが判明しました。
黒柳徹子さんの家系図をより豪華に彩っている親戚の面々を1人ずつご紹介します!
父方の祖父:田口潔矩
父方の祖父・田口潔矩さんの職業は医者でした。
カトリック教会の長老としても活躍していたので、医療業界の中でも知名度の高い人物だったのは間違いないでしょう。
伯父:田口修治
日本ニュース映画社NY支社長を歴任したカメラマン・田口修治さんと黒柳徹子さんは「伯父・姪」の間柄です。
著書「窓ぎわのトットちゃん」でも田口修治さんの話題が記されているので、黒柳徹子さんが芸能界入りするきっかけを与えたのは伯父・田口修治さんだったかもしれません。
松竹キネマの創業者・田口桜村さんの甥っ子で、松竹蒲田撮影所の初代所長にも抜てきされていました。
母方の曽祖父:門山周智
母方の曾祖父・門山周智さんの家系図をたどっていくと、ルーツが松山藩の家臣だったことが判明しています。
松山藩士・門山周信さんの六男で、実家は松山藩の典医を務めた”医師家系”でした。
東北地方でコレラが流行した1880年代に山形県へと足を運び、地元住民と医師との連携を実現させるなど、腕利きの医師として活躍したことが分かっています。
母方の祖父:門山周通
診療所がほとんどなかった北海道で開業医として活躍していた門山周智さん。
町会議員を務めた時期もあったそうで、周囲の人々から絶大な信頼を置かれていたのは間違いないでしょう。