記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
歯に衣着せぬ物言いでお馴染みのデヴィ夫人の家系図が凄すぎる!と話題になっています。
名言製造機で数多くのファンを抱えるデヴィ夫人ですが、家系図を掘り下げていくと、波乱万丈な人生を過ごしていることが分かりました!
大統領と出会った人生のターニングポイントはいつ?など気になるポイントをご紹介しながら、デヴィ夫人の家系図をチェックしていきますので、どうぞお楽しみに!
目次
デヴィ夫人の家系図!
こちらがデヴィ夫人の家系図になります。
インドネシア・スカルノ大統領の妻だったことは有名ですが、長女・カリナさんや孫・キランさんの存在はベールに包まれていますよね。
続いては、デヴィ夫人がどんな家族構成なのかを確認していきましょう!
デヴィ夫人の家族構成について
- 父 :根本兵七郎
- 本人:デヴィ夫人
- 弟 :根本八曾男
- 夫 :スカルノ大統領
- 長女:カリナ
- 長女の夫:オランダ人男性
- 孫 :キラン
こちらがデヴィ夫人の家族構成です。
カタカナの名前が並ぶ中、父・根本兵七郎さんと弟・根本八曾男さんはゴリゴリの日本名ですよね。
謎が多い父や弟の情報はもちろん、スカルノ大統領との馴れ初めを深掘りしていきながら、デヴィ夫人の人生のターニングポイントはどこだったのかをご紹介します!
父:根本兵七郎
- 職業は「大工」で棟梁を任されていた
- 妻(政子)との間に2人の子供(デヴィ夫人、根本八曾男)を授かる
- 戦時中で家族が疎開した後も東京で大工の仕事を続けた
- 1956年に他界
NHK「ファミリーヒストリー」にデヴィ夫人が出演した際、父・根本兵七郎さんとのツーショット画像が公開され、ネット上でも話題になりました。
父・根本兵七郎さんは大工として活躍していたものの、デヴィ夫人が16歳の時に他界してしまいます。
早すぎる父・根本兵七郎さんとの別れはデヴィ夫人が波乱万丈な人生を歩む予兆だったのかもしれません。
本人:デヴィ夫人のプロフィール
- 1940年2月6日生まれの東京都港区西麻布出身
- 日本名の旧姓は「根本七保子(ねもと・なおこ)」
- 本名は「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」
- 両親はともに日本人なので、ハーフではない
- 15歳で映画「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」に出演し、女優デビュー
- 千代田生命保険に入社
- 父が他界した後、高級クラブ「コパカバーナ」で働き始める
- 1962年(22歳)の時にスカルノ大統領と結婚
- スカルノ大統領の失脚・他界により、地位と財産の相続権を喪失
- フランス貴族と婚約?と話題になったが、破局してしまった
第二次世界大戦真っ只中の1940年に産まれたデヴィ夫人。
15歳の時点で銀幕デビューを果たしたものの、父・根本兵七郎さんが他界したことで運命の歯車が狂い始め、壮絶な人生を歩むことになります。
夫・スカルノ大統領が失脚した際、デヴィ夫人は故郷の日本への亡命を希望していたとのこと。
しかし、インドネシア国内の政変に巻き込まれたことで身動きが取れなくなり、スカルノ大統領が亡くなる直前の1967年にフランスへと亡命し、命の危機を免れたのです。
日本での芸能活動を本格化させたのは1970年代で、とびっきりのセレブでスカルノ大統領の元第三夫人という唯一無二のプロフィールを活かし、バラエティ番組などで活躍。
現在は芸能界のスキャンダルだけでなく、時事問題や国際問題をぶった切るご意見番的存在になっていて、デヴィ夫人のことを慕うファンもたくさん存在しています。
弟:根本八曾男
- 早稲田大学出身のエリート
- デヴィ夫人がスカルノ大統領と結婚した際、「売春婦の家族」と揶揄される
- メディアの取材攻勢に遭い、母(政子)が体調を崩した末に他界
- 家族1人だけとなった弟は精神的に追い込まれ、自ら命を絶つ
- インドネシアの軍事博物館の名前を「八曾男」とデヴィ夫人が命名
デヴィ夫人の弟・根本八曾男さんは1967年頃、自宅アパートにガスを充満させ、自ら命を絶つという辛い決断をしています。
スカルノ大統領との結婚は批判的な意見が多く、デヴィ夫人のことを「日本を捨てた売春婦」と言い放つメディアが大半を占め、連日自宅に取材陣が押し掛ける事態になっていました。
執拗なバッシングを受けていた弟・根本八曾男さんの心中を察すると、やりきれない気持ちになりますよね。
デヴィ夫人はスカルノ大統領と結婚したのと同時に母と弟を亡くすという過酷な経験をしていたのです。
夫:スカルノ大統領
- 1901年6月6日生まれのインドネシア人
- 植民地からの脱却を目指す民族運動を主導し、インドネシアを建国
- インドネシアの初代大統領に選出される
- クーデター「9月30日事件」で大統領から失脚
- 失脚後は自宅で軟禁状態に
- 1970年6月21日に他界、享年69(死因は未だに不明)
デヴィ夫人はスカルノ大統領の第三夫人という立場でした。
第一夫人(ファトマワティさん)、第二夫人(ハルティニさん)に続く3人目の妻で、スカルノ大統領には合計15人の子供がいたことが判明しています。
年齢差が38歳だったのに、デヴィ夫人とスカルノ大統領はなぜ結婚することになったのでしょう?
馴れ初めなど、デヴィ夫人とスカルノ大統領の関係を今一度振り返っていきます。
スカルノ大統領との馴れ初めについて
- デヴィ夫人は19歳の時に東日貿易の一環でインドネシアへ渡る
- スカルノ大統領の秘書という立場で初コンタクト
- 出会いの場は「帝国劇場レストラン」だった
- 偶然すれ違った際、スカルノ大統領がデヴィ夫人の美貌に見惚れる
- スカルノ大統領のナンパがきっかけとなり、結婚へ
冷戦の行方を左右する重要なポジションにいたスカルノ大統領と良い関係を保つため、デヴィ夫人は秘書という形でインドネシアに滞在することになります。
2人の結婚は政治的思惑が強かった?と噂されていますが、実際はスカルノ大統領がデヴィ夫人に一目惚れしたのがきっかけでした。
失脚して自宅に軟禁されていた時もデヴィ夫人との関係を断ち切ろうとしなかったスカルノ大統領ですから、第三夫人の立場であってもデヴィ夫人のことを心の底から愛していたのは間違いないでしょうね。
長女:カリナ
- 1967年に日本で産まれる
- デヴィ夫人とスカルノ大統領の唯一の子供
- 生前のスカルノ大統領と対面したことはない
- フランス亡命後、インドネシアに渡るなど、世界中を転々とする
- 現在はイギリスに住んでいる
デヴィ夫人のSNSで長女・カリナさんの顔画像が投稿されていました。
長女・カリナさんはスカルノ大統領の8番目の子供という立場ではありますが、他界した父と生前に対面したことはないようです。
日本生まれでフランスやインドネシアで生活した後、現在はイギリスでオランダ人の夫と一緒に穏やかな暮らしをしているみたいですね。
長女の夫:オランダ人
長女・カリナさんの夫はオランダ人だったことが判明しています。
ただ、名前や年齢、顔画像といったプロフィールは一切明かされていません。
世界的に有名な人物だったら、名前は分かるはずなので、長女・カリナさんの夫は一般企業に勤めているサラリーマンの可能性が高いのではないでしょうか。
孫:キラン
- 生年月日は2007年
- 日本語や英語など6か国語を話す秀才
- イギリスとインドネシアを行き来している
- 特技はスキー、サーフィン
- スキーのジュニア大会で1位を獲ったことも
モデル並みのルックスを持ち、顔立ちが整ったイケメンとして話題の孫・キランさん。
15歳(2023年)の若さで社交界のイベントに参加しており、多くの財界人とコミュニケーションを取り合っていました。
見た目が文句なしで、語学力も抜群な孫・キランさんですから、デヴィ夫人以上の大物に育つかもしれませんよね。