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菊池風磨さんの家系図に歴史上の人物がたくさん含まれていることをご存知でしょうか?
父が「A・RA・SHI」の作詞を担当しただけでなく、大手企業の創業者や戦国武将・織田信長など、華麗すぎる面々が家系図にズラリと並んでいる菊池風磨さんのルーツに迫っていきましょう!
目次
菊池風磨の家系図!
こちらが菊池風磨さんの家系図になります。
芸能界の大物こそいませんが、栗田昌彦さん(キャピタルコーヒーの創業者)や佐治信忠さん(サントリーホールディングス会長)など、経済界の重鎮が名を連ねていますよね。
トップアイドルの菊池風磨さん1人だけでも十分なのに、家系図の人物が豪華すぎることでも話題を集めていますから、まずは家族構成を深掘りしていきましょう!
菊池風磨の家族構成について
- 祖父:政治家の秘書
- 父 :菊池常利
- 母 :一般の人
- 本人:菊池風磨
- 弟 :菊池音央
- 妹 :菊池美夢
菊池風磨さんは3人兄弟の長男として育てられていて、母方の祖父は政治家の秘書をしていたことが分かりました。
さらに、菊池風磨さんの父・菊池常利さんは嵐の楽曲を手掛けた超有名人だったことも判明しているので、家族構成を詳しく見ていきましょう!
母方の祖父:政治家の秘書
- 祖父の名前は非公表
- 早稲田大学を卒業
- 元農林大臣の政治家「長谷川四郎」の第一秘書を務めていた
- 菊池風磨の大学進学を後押しした人物
菊池風磨さんの母方の祖父は、農林大臣や建築大臣を歴任した政治家・長谷川四郎さんの第一秘書を務めた経験のある超大物です。
慶應義塾大学出身の菊池風磨さんに進学を勧めたのも祖父だったそうで、人生の視野を広げるために大学に通いなさい!と強く進言したとのこと。
大学に行かずにアイドルとして活動する人物が多い中、菊池風磨さんにバシッ!と人生のアドバイスができる祖父は本当に凄いですよね。
父:菊池常利
- 1971年3月9日生まれの年齢53歳
- フォークデュオ「LA-LA Deux」の一員として歌手デビュー
- 2001年にシンガーソングライターとして独立
- 嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」の作詞を担当
- 菊池風磨のソロ曲「Cocoa」も提供
- アーティスト活動だけでなく、全国各地の学校で講演活動もしている
菊池風磨さんの父・菊池常利さんは現役のシンガーソングライターとして活躍していて、全国の学校を飛び回り、フリースクールの講演活動に尽力しています。
父・菊池常利さんのインスタには菊池風磨さんとのツーショット画像が投稿されていたので、親子仲は良好のようですね。
音楽性の向上に人一倍こだわりを持つ菊池風磨さんですが、シンガーソングライターの父・菊池常利さんの影響を強く受けているのは間違いないと思います。
母:一般の人
- 名前や年齢は非公表
- 20歳の時に作詞を担当した楽曲「20ーTw/Ntyー」の「N」が母親のイニシャル?と噂に
- パンが大好きな菊池風磨に毎日パンを食べさせていた
- 放任主義の教育方針だったが、礼儀作法は厳しかった
- 菊池風磨を身ごもっていた時、道中で倒れたところをウド鈴木に介抱してもらった
母の顔画像は見つかっていないのですが、とびっきりのイケメン・菊池風磨さんのお母さんなのですから、絶世の美女なのは間違いないでしょうね。
菊池風磨さんの母の背中姿の画像が見つかったのですが、スタイル抜群ですし、スーツもバッチリ似合っていますから、雑誌モデルの経験者なのかもしれません。
弟:菊池音央
- 2003年6月4日生まれの21歳で、菊池風磨より9歳年下
- 職業はプロボクサー(階級:ライト級)
- 2人でディズニーリゾートへ出向くなど、兄弟仲は良好
- 受験後に菊池風磨からスマホをプレゼントされる
- 兄弟2人っきりでお風呂に3時間入っていたことがある
兄・菊池風磨さんよりもふっくらした体格の弟・菊池音央さんはプロボクサーとして活躍しています。
通算成績は3戦で1勝2敗となっていますが、デビュー戦の応援で菊池風磨さんと父・菊池常利さんが会場に駆けつけるなど、親子仲・兄弟仲はかなり良いようですね。
父・菊池常利さんと一緒に「HEROES」のモデルを担当したり、親子でYoutubeチャンネルを開設するなど、兄・菊池風磨さんに負けず劣らずの活躍をしている弟・菊池音央さん。
年齢21歳で若手の部類に入っているので、ボクシングの戦績向上にも期待できますし、アイドル界の頂点を極めた兄・菊池風磨さんに追いつき追い越せの精神でこれからも奮闘してくれることでしょう。
妹:菊池美夢(?)
- 顔画像は非公表だが、菊池風磨より12歳年下だと判明
- 名前も分かっていないものの、ファンの間で「美夢(みむ)」なのでは?と噂に
- 物心ついた時には兄がデビューしていたため、菊池風磨と会う時はいつも照れている
- 恋愛相談ができる間柄だが、妹の携帯電話の番号は教えてもらっていない
- パズルを完成させた菊池風磨に「風磨やるじゃん!」と強気発言
- 菊池風磨のコンタクトレンズを食べてしまった過去も
父・菊池常利さんのインスタに度々登場する妹・菊池美夢さんですが、マスク姿の横顔の画像しか見つかっていません。
妹・菊池美夢さんの小さい頃の顔画像は発掘されていて、とても可愛らしいので、菊池風磨さんにとっても自慢の妹だったのは間違いありません。
物心ついた時から芸能人だった兄に照れる一方、菊池風磨さんのコンタクトレンズを食べてしまうなど、天然っぷりを披露している妹・菊池美夢さんですから、家族の癒し的な存在になっているのでしょうね。
菊池風磨と織田信長の関係について!
菊池風磨さんは戦国時代に活躍した稀代の武将・織田信長と38親等の関係性になっていて、遠い親戚だったことが判明しました。
- 織田信長と38親等の関係だと「はじめまして!一番遠い親戚さん」で判明
- 織田家直系の子孫の家系図に菊池風磨の名前が記載されている
- 加山雄三とも縁戚関係であることが判明
全長25mに及ぶ”織田家直系子孫の家系図”がテレビ番組「はじめまして!一番遠い親戚さん」で紹介された際、菊池風磨さんが織田信長の親戚だったことが分かりました。
織田信長の肖像画をじっくり見てみると、眉毛がシュッとしていて、鼻の形が大きいところは菊池風磨さんにそっくりですよね。
若かりし頃の織田信長も菊池風磨さん並みの超絶イケメンだったのかもしれません。
また、織田信長の親戚と判明しただけでなく、菊池風磨さんは”若大将”こと加山雄三さんと遠縁の関係だったことが分かりました。
2022年の「24時間テレビ」でテーマ曲「サライ」を披露する最後の機会に加山雄三さんとの夢の共演が実現した菊池風磨さん。
芸能界の偉大な大先輩が親戚にいるのは心強いでしょうし、加山雄三さんの功績をこれまで以上に際立たせるような活躍を菊池風磨さんには期待したいですよね。
菊池風磨と歴史上の人物の関係がヤバすぎる!
菊池風磨さんの家系図を深掘りしていくと、織田信長や加山雄三さんだけでなく、キャピタルコーヒーの創業者として有名な栗田昌彦さんなど、歴史上の人物が勢ぞろいしていました。
母方の祖父が政治家の第一秘書だったということだけで驚きなのですが、家系図を辿っていくと超大物の名前ばかりが出てきているので、1人ずつチェックしていきましょう!
5親等:栗田昌彦(キャピタルコーヒーの創業者)
- 日本にコーヒー文化を持ち込んだ開拓者
- 1946年5月にキャピタルコーヒー1号店をオープン(東京都文京区)
- 2000年までの社名は「美家古食品株式会社」だった
- 2002年にコロンビアのコーヒー連合会から「マヌエル・メヒア勲章」を授与される
戦後の日本にコーヒー文化を根付かせたキャピタルコーヒー創業者の栗田昌彦さん。
戦前・戦中から海外の食文化に関心がなければ、戦後間もない頃の日本にコーヒーを持ち込ませることはできませんから、栗田昌彦さんは好奇心旺盛な人物だったのでしょうね。
7親等:西山夘三(LDKの考案者)
- 日本の建築学の第一人者
- LDK(リビング・ダイニング・キッチン)の生みの親
- 早い段階から地球の環境問題に懸念を示していた
- 実家は大阪下町の工場で、京都帝国大学を卒業
- 京都大学の名誉教授を歴任した後、83歳で逝去
家の間取りの定番ともいえる「LDK」を世界で最初に考案した西山夘三さんも菊池風磨さんの親戚の1人というのはビックリですよね。
83歳で亡くなった翌年(1995年)に「西山記念すまい・まちづくり文庫」が設立されるなど、西山夘三さんの功績を後世に残すための活動が現在も続いています。
8頭身:佐久間義一郎(呉市初代市長)
- 1842年10月16日生まれ
- 神機隊(広島藩)六番小隊長を務めた
- 1902年、広島県呉市の初代市長に就任
- 旭日小綬章と瑞宝小綬章を受章
菊池風磨さんが織田信長の親戚だったと判明した「はじめまして一番遠い親戚さん」で、呉市の初代市長・佐久間義一郎さんとも縁戚関係だったことが明かされました。
江戸時代に生まれ育った偉人と親戚関係にある菊池風磨さんですから、家系図がどれほど充実しているのかがハッキリと分かりますよね。
11親等:平賀譲(戦艦「大和」の設計者)
- 1878年3月8日生まれ
- 日本海軍の戦艦「大和」を設計するなど、造船学者として活躍
- 当時の最新鋭技術を駆使し、戦艦「大和」の能力向上に努める
- 東京帝国大学の十三代総長を務めた
- 64歳で亡くなった後、解剖で脳を取り出し、東京大学医学部で保管されている
とても貴重な「戦艦設計経験者」という立場で、戦艦「大和」の設計を担当するなど、”日本海軍の頭脳”というべき存在だった平賀譲さんも菊池風磨さんの家系図に名前が刻まれています。
平賀譲さんは肺炎のため64歳で他界したのですが、頭脳明晰な人物と知られていたため、脳を東京大学医学部に保管し続ける、という異例な事態となりました。
13親等:佐治信忠(サントリーの一族)
- 1945年11月25日生まれの年齢78歳
- 父親はサントリー2代目社長の佐治敬三
- 慶應義塾大学とカリフォルニア大学を卒業し、ソニー商事の会社員を経てサントリーへ入社
- 日本にウイスキー文化を定着させるなど、異文化の取り入れに成功
- 2001年から8年間、サントリーホールディングスの社長を務める
- 2020年のフォーブス日本長者番付で4位(保有資産:1兆60億円)にランクイン
大手飲料メーカー・サントリーホールディングスの会長を務めている佐治信忠さんは菊池風磨さんと13親等の間柄になります。
巨大企業を束ねる経営者でありながら、ざっくばらんなトークをすることで知られていて、歯に衣着せぬ物言いで経済界や政界に物申す場面も数多くなっていますよね。
27親等:根津嘉一郎(初代鉄道王)
- 1860年8月1日生まれ
- 53年もの間、東武鉄道の社長を務めた”初代鉄道王”
- 経営危機に陥っていた東武鉄道の窮地を救う
- 衆議院議員を4期務めた過去も
- 武蔵大学(旧:武蔵高校)の創設者でもある
- 1940年に70歳で他界
山梨県の盟主だった「根津家」に生まれた根津嘉一郎さんは、経営不振にあった東武鉄道を買い取って立て直しに成功した人物として有名で、「初代鉄道王」の異名でも知られている偉人ですよね。
強引な買収劇を展開したため”ボロ買い一郎”と揶揄されていたそうですが、東武鉄道の経営再建が上手くいっていなければ、日本の鉄道網が危機的状況になっていたのは明白なので、根津嘉一郎さんの功績は称賛に値するものだと思います。