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萬屋錦之介さんの家系図を深掘りしていくと、親族一同が梨園のエリートばかりだったことが判明しました!
歌舞伎役者から映画俳優へ転身し、活躍の幅を広げていった異色の経歴を誇る萬屋錦之介さん。
昭和の演劇界に大きな衝撃を残した萬屋錦之介さんの家系図や家族構成をわかりやすくご紹介しますので、どうぞお楽しみに!
目次
萬屋錦之介の家系図!
こちらが萬屋錦之介さんの家系図になります。
親戚一同が「中村」の名跡を襲名した歌舞伎役者ばかりですよね。
家系図をパッと見しただけでも梨園のエリートだということが分かる萬屋錦之介さんの家族構成はどんな感じなのでしょう?
萬屋錦之介の家族構成について
- 祖父:三代目中村歌六
- 伯父:初代中村吉右衛門
- 叔父:十七代目中村勘三郎
- 父 :三代目中村時蔵
- 母 :小川ひな
- 長兄:二代目中村歌昇
- 次兄:四代目中村時蔵
- 三兄:初代中村獅童
- 本人:萬屋錦之介
- 弟 :中村嘉葎雄
こちらが萬屋錦之介さんの家族構成です。
近い親戚も梨園のエリートが勢ぞろいしていますよね。
弟・中村嘉葎雄さんも名優として知られていて、豪華すぎる家系図なのは明らかな萬屋錦之介さんの家族構成を1人ずつ深掘りしていきましょう!
祖父:三代目中村歌六
上方歌舞伎に近代のアレンジを加えた公演を得意にしている屋号「播磨屋」の地盤を築いたのが祖父・三代目中村歌六さんです。
初代中村吉右衛門さんなど4人の子供を授かり、有名な歌舞伎役者へと育て上げました。
伯父:初代中村吉右衛門
三代目中村歌六さんの次男にあたるのが伯父の初代中村吉右衛門さん。
上方歌舞伎を継承しただけでなく、公演に狂言の要素を交えるなど、現代のスーパー歌舞伎の基礎を作り上げました。
日本芸術院の会員に抜てきされたほか、晩年の1951年には文化勲章を受章しています。
叔父:十七代目中村勘三郎
十八代目中村勘三郎さんの父で、立役と女形の二刀流を成し遂げ、屋号「中村屋」を繁栄させた叔父・十七代目中村勘三郎さん。
1975年に人間国宝と認定され、1980年に文化勲章を受章した一方、十七代目中村勘三郎さんは歌舞伎役者がテレビドラマに出演できる流れを作り上げた功労者でもあります。
父:三代目中村時蔵
三代目中村歌六さんの次男で、女形の名優でもある三代目中村時蔵さんが萬屋錦之介さんの父です。
20歳の若さで「三代目中村時蔵」を襲名し、1950年には日本芸術院賞を受賞しました。
舞台だけでなく、現代映画にも数多く出演しており、歌舞伎役者の地位向上に努めた人物です。
母:小川ひな
夫・三代目中村時蔵さんよりも10歳年下だった母・小川ひなさんは5人の子供を授かりました。
本名は「豊田ひな」で、東京赤坂の人気芸妓として活躍していたそうで、三代目中村時蔵さんとの結婚に反発する人たちもたくさんいたとのこと。
ただ、互いが惹かれ合っていたこともあり、三代目中村時蔵さんにプロポーズされた後、無事にゴールインしています。
長兄:二代目中村歌昇
幼少期から病弱だったという長兄の二代目中村歌昇さん。
8歳で初舞台を経験したものの、病気が完治しなかったため、役者引退を決意し、本名の「小川貴智雄(おがわ・きちお)」で映画監督へと転身。
脚本家としても活躍しましたが、48歳の時に持病の悪化で他界しました。
次兄:四代目中村時蔵
女形の第一人者として大きな期待がかけられていた次兄・四代目中村時蔵さん。
病気だった兄・二代目中村歌昇さんの無念を晴らすべく、役者業に邁進しましたが、34歳の時に事故で亡くなりました。
仕事が忙しすぎて、不眠症になっていた四代目中村時蔵さんは、普段から睡眠薬を服用していたそうで、薬関連の事故が死因だと判明しています。
三兄:初代中村獅童
二代目中村獅童さんの父で、本名の「小川三喜雄」名義で映画プロデューサーとして活躍したのが三兄の初代中村獅童さんです。
理不尽な形でりつけてくる先輩役者に腹を立て、歌舞伎役者を引退し、銀行員や貿易会社に転職する、という変わった経歴の持ち主。
東映の映画プロデューサーだけでなく、二代目中村獅童さんの個人事務所を立ち上げるなど、息子の活躍を後押しし続けました。
本人:萬屋錦之介のプロフィール
- 1932年11月20日生まれ
- 本名は「小川錦一(おがわ・きんいち)」
- 3歳から39歳まで「中村錦之助」を名乗っていた
- 23歳の時に歌舞伎役者引退と俳優業転身を公表
- 実家の屋号が変更されたことを受け「萬屋錦之介」に改名
- 1997年3月10日に肺炎で他界、享年64
昭和期のドラマ・映画に欠かせない存在となっていた萬屋錦之介さんですが、23歳までは歌舞伎役者として活躍していたのです。
歌舞伎が嫌になったわけではなく、俳優業との両立が困難だと察したため、萬屋錦之介さんは歌舞伎役者をキッパリ辞める決断を下しました。
晩年は重症筋無力症や網膜剝離、喉頭癌を患い、闘病生活を続けたものの、1997年に64歳の若さでこの世を去ったのです。
弟:中村嘉葎雄(俳優)
5歳で初舞台を経験したものの、高校2年で俳優業へと転身した弟・中村嘉葎雄さん。
兄・萬屋錦之介さんの背中を追う形で芸能界入りを果たした中村嘉葎雄さんは「赤穂浪士」や「遠山の金さん」など人気作に出演。
映画「いま、会いにゆきます」では甥っ子の二代目中村獅童さんと共演を果たしました。
俳優業は順調だった中村嘉葎雄さんですが、離婚を経験しており、子供の存在も確認されていません。
萬屋錦之介の妻と子供について
- 1人目の妻:有馬稲子
- 2人目の妻:淡路恵子
- 長男:島英津夫
- 次男:一般男性
- 三男:小川晃廣
- 四男:萬屋吉之亮
- 3人目の妻:小川甲子
こちらが萬屋錦之介さんの妻と子供一覧です。
4人の子供がいるだけでなく、妻が3人もいたことが判明している萬屋錦之介さん。
仕事面はもちろん、プライベートでも波乱万丈な人生を生き抜いてきた萬屋錦之介さんの妻と子供の情報を整理していきましょう!
1人目の妻:女優の有馬稲子
宝塚歌劇団のOGで、東宝の専属女優としても活躍した有馬稲子さんが萬屋錦之介さんの最初の妻でした。
馴れ初めは映画雑誌の対談企画で、結婚披露宴では2メートルの高さのウェディングケーキが登場するなど、豪勢な挙式だったそうです。
しかし、梨園のルールが厳しく、姑との仲が悪化し、勝手気ままな萬屋錦之介さんに振り回されたことが離婚理由となり、わずか3年7か月で結婚生活にピリオドが打たれました。
2人目の妻:淡路恵子
歯に衣着せぬ物言いで注目を集めた一方、プライベートで「ドラゴンクエスト」にハマるなど、可愛らしい面を見せていた淡路恵子さんが萬屋錦之介さんの2人目の妻でした。
松竹歌劇団のOGで、最初の夫(ビンボー・ダナオさん)と離婚した1年後の1966年に萬屋錦之介さんと再婚しています。
ビンボー・ダナオさんとの間に2人の子供がおり、連れ子と一緒に生活することになった萬屋錦之介さんですが、家庭内では大きな問題は起きなかったようですね。
しかし、萬屋錦之介さんが闘病中に他の女性と不倫していたことが分かり、淡路恵子さんは2度目の離婚を決意するのでした。
長男(淡路恵子の連れ子):島英津夫(俳優)
「西部警察」や「鬼平犯科帳」への出演歴がある元俳優の島英津夫(しま・えつお)さん。淡路恵子の連れ子ですが、続柄は長男となるでしょう。
2016年時点で所属事務所を辞めているため、現在は俳優業を廃業という形になっていて、表舞台に姿を現すことはありません。
1999年には義理の父・萬屋錦之介さんとの思い出話を綴った著書「親父の涙 萬屋錦之介」が出版されています。
次男(淡路恵子の連れ子):一般の方
萬屋錦之介さんの2人目の妻・淡路恵子さんには島英津夫さんともう1人子供がいたのですが、名前や年齢は分かっていません。
一般男性としか紹介されていないので、芸能界とは関係ない仕事に就いたのだと思います。
萬屋錦之介さんや淡路恵子さんの葬儀に姿を見せた、という話も出ていませんから、今後も表舞台に姿を現すことはないでしょう。
三男:小川晃廣(元俳優)
萬屋錦之介さんと淡路恵子さんの最初の子供となる小川晃廣さんは、時代劇ドラマなどに出演した元俳優です。
将来性豊かな若手役者として注目を集めていた最中、22歳の若さでこの世を去ってしまいました。
小川晃廣さんの死因はバイク事故。
息子を溺愛していた淡路恵子さんは大きなショックを受けたものの、小川晃廣さんが残した孫娘を本物の子供のように可愛がっていたそうです。
四男:萬屋吉之亮
本名は「井田哲史」で、俳優時代は「萬屋吉之亮(よろずや・きちのすけ)」を名乗っていました。
父と母がともに超有名人だったこともあり、萬屋吉之亮さんは大きなプレッシャーに耐え切れなくなった結果、淡路恵子さんの自宅で金品を盗んでしまいます。
余罪も判明し、実刑2年の懲役判決を受け、人生に絶望した萬屋吉之亮さんは36歳の時に自ら命を絶ってしまいました。
3人目の妻:小川甲子
宝塚歌劇団時代に「甲にしき」の芸名で活躍していて、今は東京宝塚劇場の支配人を務めています。
当時淡路恵子さんと結婚していた萬屋錦之介さんと不倫関係になった小川甲子さん。
ワイドショーを巻き込んでの大騒動になったものの、パートナーを愛する気持ちが変わることはなく、離婚成立後に萬屋錦之介さんとゴールインしました。
萬屋錦之介と二代目中村獅童の関係について!
萬屋錦之介さんの甥っ子にあたるのが二代目中村獅童さんです。
甥は兄弟の子供にあたり、3親等になります。
弟・初代中村獅童さんの息子が二代目中村獅童さんなので、伯父と甥っ子という分かりやすい間柄になっていますよね。
生前の萬屋錦之介さんと二代目中村獅童さんは面識があり、劇場だけでなく、稽古場でも何度も顔を合わせたそうです。
二代目中村獅童さんの本名(小川幹弘)を呼び、エールを送ってくれた伯父・萬屋錦之介さんのカッコよさに惚れ込んでいたとのこと。
現代劇で見せる渋い役柄は萬屋錦之介さんを彷彿とさせますし、二代目中村獅童さんの更なる活躍に期待したいですね。
萬屋錦之介と松たか子の関係について!
萬屋錦之介さんと松たか子さんは「姪孫(てっそん)」という間柄になります。
「姪孫」は姪の孫にあたる意味の言葉で、姪っ子(藤間正子)の子供(二代目松本白鷗)の娘が松たか子さんですから、萬屋錦之介さんと遠い親戚なのは間違いありません。
松たか子さんは1994年のNHK大河ドラマ「花の乱」にて萬屋錦之介さんと共演を果たしています。
「花の乱」がテレビドラマ初出演となった松たか子さんですが、遠い親戚の萬屋錦之介さんと共演済みだったのは意外な感じもしますよね。
萬屋錦之介と寺島しのぶの関係について!
寺島しのぶさんと萬屋錦之介さんは血のつながりはありません。
ただ、弟・五代目尾上菊之助さんが松たか子さんの従姉妹・波野櫻子さんと結婚したため、寺島しのぶさんと萬屋錦之介さんは遠い親戚関係になったのです。
寺島しのぶさんが舞台女優として活躍していた時代に萬屋錦之介さんが他界しているため、2人の共演歴はありません。
でも、作中で見せる迫真の演技っぷりは萬屋錦之介さんを彷彿とさせますし、血のつながりはないものの、役者としての才能の豊さは似ているのかもしれませんね。