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自民党の元幹事長・石破茂さんの家系図を徹底深掘り!
家系図を掘り下げていくと、「八重の桜」に登場した金森通倫さんと石破茂さんが親戚だったことが判明しました。
家族構成も豪華な仕上がりになっている石破茂さんの家系図をチェックしていきましょう!
目次
石破茂の家系図!
こちらが石破茂さんの家系図になります。
母方の祖父・金森太郎さんと父・石破二朗さんはいずれも都道府県知事の経験者だったことが分かりました。
立派な政治家一家だということが家系図で判明した石破茂さんですが、家族構成はどんな感じなのでしょう?
石破茂の家族構成について
- 曾祖父:金森通倫
- 父方の祖父:石破市造
- 父方の祖母:マサ
- 母方の祖父:金森太郎
- 父:石破二朗
- 母:石破和子
- 兄弟:姉が2人
- 本人:石破茂
- 妻:佳子
- 長女:一般女性
- 次女:一般女性
こちらが石破茂さんの家族構成です。
曾祖父に「八重の桜」でお馴染みの金森通倫さんがいるのがビックリですよね!
さらに、妻や子供に関する情報も続々と判明しているので、早速石破茂さんの家族構成を確認していきましょう!
曾祖父:金森通倫
- 1857年10月2日生まれの熊本県玉名市出身
- 10代の頃からキリスト教の布教活動(熊本バンド)を開始
- 同支社入学後に洗礼を受け、教会の牧師となる
- 牧師としての別名は「ポール・カナモリ」
- 1945年3月4日に他界、享年87
肥後国の郷士・金森繁蔵さんの次男で、キリスト教の布教に尽力した金森通倫さん。
石破茂さんとは「曾祖父・曾孫」の親戚関係になります。
NHK大河ドラマ「八重の桜」では柄本時生さんが金森通倫役に抜てきされ、話題を集めましたよね。
理不尽な弾圧に屈することなく、自身の信仰心に従っていった金森通倫さんの生き様を情感たっぷりに演じていました。
父方の祖父:石破市造
- 1874年12月2日生まれの鳥取県八頭町出身
- 高校卒業に実家の農家を継ぐ
- 役場の書記として活躍しながら、果物の製造にも挑んだ
- 1908年、大御門村長に選出される
- 1941年1月19日に他界、享年66
鳥取県の名産「二十世紀梨」を作ったのが石破市造さんです。
国政に進出することはなかったものの、地元鳥取県の盟主として強烈な存在感を放っていました。
幼い頃に満足な教育を受けてこなかった石破市造さんは、子供たちに英才教育を施し、勉強の大切さを伝えたそうです。
父方の祖母:マサ
石破市造さんは2歳年下のマサさんと結婚し、5人の子供を授かり、1人の養子を預かりました。
マサさんの父は山田松太郎さんという方のようですが、どんな人物なのかは分かっていません。
でも、マサさんは鳥取県岩美郡出身なので、地元の盟主・石破市造さんと関わりが持てるような上流家庭で育ったのだと思います。
母方の祖父:金森太郎
- 1888年6月18日生まれの熊本県出身
- 金森通倫の長男
- 東京帝国大学(現:東京大学)の法科大学を卒業
- 大阪府警察部長を経て政治家に転身
- 1933年に徳島県知事を務める
- 1934年には山梨県知事へ転身
- 1958年6月12日に他界、享年69
宗教家の金森通倫さんの長男ではありますが、東京帝国大学卒業後に官僚や政治家を経験した金森太郎さん。
徳島県と山梨県の知事を務めた金森太郎さんなので、統率力が秀でた人物だったのは間違いないでしょう。
知事退職後は東北興業や樺太開発の副総裁を務めました。
父:石破二朗
- 1908年7月29日生まれの鳥取県八頭町出身
- 石破市造の次男
- 東京帝国大学(現:東京大学)法律学科卒業
- 内務省や警察庁、建設官僚で要職を経験
- 1958年に鳥取県知事就任
- 1974年に国政進出を果たし、参議院選挙で当選
- 鈴木善幸内閣で国家公安委員長を務める
- 1981年9月16日に他界、享年73
鳥取県知事だけでなく、自治大臣や国家公安委員長を経験した父・石破二朗さん。
元総理・田中角栄さんの同志で、石破二朗さんに東京都知事選挙出馬を要請したこともあったそうです。
石破二朗さんが他界した後、田中角栄さんが葬儀委員長を務める形で派閥主導のお別れの会を開催。
お互いが強い絆で結ばれていたのは間違いないですし、息子の石破茂さんに政治家転身を進めたのも父の盟友・田中角栄さんだったことが分かっています。
母:石破和子
結婚するまで学校の国語教師として働いていた母・石破和子さん。
宗教家・金森通倫さんの孫で、知事経験者の金森太郎さんの長女にあたる人物ということが判明しました。
息子・石破茂さんが誕生してからは英才教育を施していて、小学生の時は毎日60分間偉人伝を朗読することが日課だったそうです。
姉が2人いる
1940年生まれの長女、1941年の生まれの次女という2人の姉が石破茂さんにはいることが分かっています。
2人の姉はともに東京女子大学出身の学校教師として活躍した過去があり、長女は国語、次女は英語が専門だったとのこと。
幼い頃の石破茂さんは読書感想文を書くのが嫌いだったものの、2人の姉に怒られながら苦手な宿題に挑んでいたそうです。
また、石破茂さんが慶應義塾高校進学後に関東圏へと引っ越した際、17歳年上の姉(長女)が一人暮らしの弟を全力サポートしていたそうで、姉弟の関係性が良好だったのは間違いないでしょう。
本人:石破茂のプロフィール
- 1957年2月4日生まれの東京都千代田区出身
- 慶應義塾大学法学部卒業後、三井銀行へ入行
- 父(石破二朗)の他界後に政治家転身
- 1986年の衆議院選挙で初当選
- 小泉純一郎内閣で防衛庁長官に抜てきされ、初入閣
- 自民党の要職(幹事長、政調会長)を歴任
- 第2次安倍晋三内閣で初代地方創生大臣を務める
衆議院選挙で12回の当選回数(鳥取1区)を誇る自民党の重鎮・石破茂さん。
父・石破二朗さんから地盤を引き継ぐ形になりましたが、政治家になる前までは三井銀行(現:三井信託銀行)で働く銀行系エリートでした。
政治信念に共感する自民党員が多く存在する一方、国会議員と横のつながりを作るのが苦手な石破茂さん。
自民党総裁選になると、議員票の少なさで次点に甘んじる、という流れが続いています。
妻:佳子
石破茂さんは慶應義塾大学の同級生だった妻・佳子さんと結婚し、2人の娘を授かりました。
大学のサークルを通じて妻・佳子さんと知り合った石破茂さん。
図書館で偶然見かけた際、圧倒的なルックスを誇る妻・佳子さんに一目惚れして告白したものの、付き合う流れにはならなかったそうです。
弁護士志望だった妻・佳子さんのことを想い続けた結果、8年越しの恋が実り、結婚することになりました。
長女:一般の方
1988年生まれの長女は、女子学院高校卒業後に一浪したものの、AO入試で早稲田大学政治経済学部に合格。
学生時代からエネルギー関連の仕事に強い興味があった長女。
早稲田大学を卒業してから東京電力へと入社しています。
次女:一般の方
1991年生まれの次女は、豊島岡学園高校卒業後に東京理科大学へと進学。
製薬業界の大手・エーザイ株式会社に就職して、薬剤師として活躍しているそうです。
一方、石破茂さんの子供の情報が少なすぎることも影響してか、次女の就職先はフジテレビだった!?という噂も飛び交っていました。