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NHK朝ドラ「らんまん」主人公のモデルとなった”植物学の権威”牧野富太郎さんの家系図をご紹介します!
明治から昭和の時代を生き抜き、「日本の植物学の父」とまで呼ばれるようになった牧野富太郎さん。
家系図を掘り下げていくと、曾孫・牧野一浡(まきの・かずおき)さんとの意外な関係が判明したので、早速確認していきましょう!
目次
牧野富太郎の家系図!
こちらが牧野富太郎さんの家系図になります。
父と母だけでなく、祖父も幼い頃に亡くしている牧野富太郎さん。
祖父の後妻にあたる祖母・浪子さんが育ての親だったことが分かった牧野富太郎さんの家族構成を深掘りしていきましょう!
牧野富太郎の家族構成について
- 祖父:小左衛門
- 祖母:浪子(育ての親)
- 父 :佐平
- 母 :久壽
- 本人:牧野富太郎
- 前妻:猶
- 後妻:壽衛
こちらが牧野富太郎さんの家族構成です。
NHK朝ドラ「らんまん」では妻との仲睦まじい姿を描いていましたが、牧野富太郎さんには前妻と後妻がいたことが判明!
波乱万丈な人生を送った牧野富太郎さんの家族構成を1人ずつチェックしていきましょう!
祖母:浪子(育ての親)
- 祖父(小左衛門)の後妻
- 病弱だった牧野富太郎の育ての親
- 虫やカエルを薬にするなど、牧野富太郎の体調を気遣う
- 和歌の歌会に参加するなど、文化人の一面も
- 1887年に78歳で他界
実家(酒屋)の後継者でありながら、幼い頃から病弱だった牧野富太郎さんを健気に支えたのが祖母・浪子さんです。
NHK朝ドラ「らんまん」の中で祖母・タキが主人公・槙野万太郎の体調を気遣い、お灸を据える場面がありましたよね。
幼少期の牧野富太郎さんが病に苦しんでいたのは実話で、実家の後継ぎを立派に育てるために祖母・浪子さんは手厚いサポートに徹していたそうです。
祖父、父、母は幼いころに亡くなっている
牧野富太郎さんの父・佐平さんと母・久壽さんはともに30代の若さで他界しています。
さらに、祖父・小左衛門さんも同時期に亡くなっていることが分かりました。
心の拠り所となる肉親を次々に亡くした牧野富太郎さんですが、祖母・浪子さんが育ての親となり、植物学の勉強に邁進するきっかけを与えています。
本人:牧野富太郎のプロフィール
- 1862年5月22日生まれの高知県高岡郡佐川町出身
- 佐川小学校に入学したが、勉強に身が入らず中退
- 前妻(猶)と祝言を挙げた直後(22歳)に上京
- 東京大学理学部に出入りしながら、植物の研究に邁進
- 25歳の時に後妻(壽衛)と出会う
- 1927年に「理学博士」の学位を獲得
- 受章歴は「文化勲章」「勲二等旭日重光章」「朝日文化賞」
- 1957年1月18日に他界、享年94
小学校中退という破天荒すぎる学歴なのに、東京大学で理学博士の学位を獲得した牧野富太郎さん。
植物の標本・観察記録は50万点以上を数え、1500種類以上の植物の名前を名付けたこともある「日本の植物学の父」と呼ばれています。
NHK朝ドラ「らんまん」では牧野富太郎さんがモデルとなった主人公・槙野万太郎役を神木隆之介さんが演じました。
どんな状況になったとしても、植物学への情熱が途絶えることはなかった牧野富太郎さんの生き様を神木隆之介さんが情感たっぷりに演じていましたよね。
前妻:猶
- 旧姓は「山本」で、女子師範学校を卒業した才女
- 牧野富太郎の2歳年下の「いとこ」で許婚の間柄だった
- 1881年に祝言を挙げる
- 研究に没頭する牧野富太郎とのすれ違いが原因で離婚
- 牧野富太郎との間に子供はいない
- 実家の酒屋が破綻した後、番頭の井上和之助と再婚
- 離婚後も牧野富太郎とは家族ぐるみの付き合いが続いた
- 1950年に他界
NHK朝ドラ「らんまん」では一切触れられていませんでしたが、牧野富太郎さんには前妻・猶さんという女性が存在していたのです。
いとこ同士の親戚だったこともあり、幼い頃からの許婚で結婚する流れになりました。
しかし、牧野富太郎さんの研究を支援する資金が底をついただけでなく、性格の不一致やすれ違いの生活が長く続いたため、前妻・猶さんは離婚を選択します。
離婚した後も前妻・猶さんは牧野家と深い関わりがあり、岸屋(牧野富太郎の実家の酒屋)の若女将を務めていました。
妻:壽衛
- 1873年生まれで東京飯田町出身
- 父は小澤一政(井伊家の家臣で陸軍省営繕部にて勤務)
- 父が他界した後は母と共に東京で菓子屋を営む
- 菓子屋で勤務している時に11歳年上の牧野富太郎と出会う
- 1887年12月頃、駆け落ちのような形で夫婦生活がスタート
- 13人の子供を授かったが、6人は小さい頃に亡くなってしまった
- 1928年に子宮がんで他界、享年55
軍人の父と菓子屋を営む母との間に生まれた壽衛さんが牧野富太郎さんの後妻になります。
前妻・猶さんとの関係が続いていたのに、東京で偶然出会った壽衛さんの美しさに一目惚れした牧野富太郎さん。
植物の研究と同様に、思い立ったらすぐ行動に移すタイプの牧野富太郎さんだったので、壽衛さんとの再婚に迷いはなかったようですね。
NHK朝ドラ「らんまん」では、壽衛さんのモデルとなった寿恵子役を浜辺美波さんが演じていました。
研究に没頭しすぎていた牧野富太郎さんはお金遣いも粗かったようで、たくさんの子供がいてもどんどん散財していたそうです。
家事・育児に奔走していた最中、借金取りが自宅までやってきて、壽衛さんが対応に追われることも珍しくなかったとのこと。
でも、妻・壽衛さんが子宮がんの闘病をしていた時に見つけた新種の植物を「スエコザサ」と命名するなど、最期まで牧野富太郎さんは妻を愛する気持ちに変わりはなかったようです。
牧野富太郎の子供は13人!
牧野富太郎さんには合計13人の子供がいたことが分かっています。
ただ、13人のうち6人が幼い頃に他界しているため、牧野富太郎さんの子供は7人と語られることが多くなっていますよね。
長女・次女・四女の情報をご紹介するほか、牧野一浡さんなど孫や曾孫との関係も分かりやすく掘り下げていきます!
長女:香代
生き残った7人の子供の中で最年長だったのが長女・香代さんです。
結婚相手は石川県生まれの実業家・細川正也さんで、母・壽衛さんが他界した後は父・牧野富太郎さんと一緒に暮らしていたとのこと。
牧野富太郎さんの身の回りの世話を担当していたそうなので、家政婦のような役割を担っていたのかもしれませんね。
次女:鶴代
- 1898年5月12日生まれ
- 額賀二郎(弁護士、無産運動家)と19歳で結婚したが、後に離婚
- 元夫との間に3人の子供を授かる
- 母(壽衛)が他界した後は牧野富太郎の研究活動のサポートに専念
- 父(牧野富太郎)が亡くなった後、研究書物を高知県や東京都に寄贈
- 1970年5月12日に他界、享年72
牧野富太郎さんの身の回りの世話をしていた長女・香代さんとは異なり、次女・鶴代さんは研究活動の支援に尽力していました。
東京都練馬区にある居宅を寄付した上で「牧野記念庭園」を立ち上げた次女・鶴代さん。
「集成牧野博物図鑑」や「牧野植物随筆集」を発行させ、父・牧野富太郎さんの功績を後世に語り継いでいます。
曾孫:牧野一浡(次女・鶴代の孫)
- 1946年生まれの東京都練馬区出身
- 3歳の頃に母を亡くし、祖母の鶴代(牧野富太郎の次女)に育てられた
- 10歳の頃まで牧野富太郎と過ごす
- 一般企業を定年退職した後、牧野記念庭園記念館の学芸員に転身
幼い頃に実母を亡くす、という牧野富太郎さんと同じような境遇で育った曾孫・牧野一浡さん。
生前の牧野富太郎さんと一緒に過ごしたこともあったそうですが、偉大な曾祖父にざっくばらんな対応をするわけにはいかず、研究に没頭する姿を陰ながら応援していたみたいとのこと。
大学卒業後に電気設備工事会社の資材調達を担当する商社で働いていたものの、定年退職の前に学芸員の資格を取得して、曾祖父・牧野富太郎さんの功績を語り継ぐことに専念しちえます。
四女:玉代
1910年9月10日生まれの四女・玉代さん。
東京都豊島区にある「川村女学院」を卒業した後、岩佐喜七さん(五交商事と日本造型の元会長)と結婚しました。
2022年5月、父・牧野富太郎さんが四女・玉代さんにあてた直筆の手紙の存在が明るみになり、話題を集めました。
手紙は「ノンキなトーサンから」というユニークな言葉で締めくくられていたため、四女・玉代さんとの親子仲の良さが垣間見える形になりましたよね。
孫:岩佐まゆみ(四女・玉代の娘)
四女・玉代さんの娘にあたる岩佐まゆみさんは牧野富太郎さんが溺愛した孫です。
「まゆみ」という名前を命名したのが牧野富太郎さんで、庭でたくましく成長した「マユミ」の木が由来になったとのこと。
明治39年創立の名門「成蹊学園」を卒業している才女で、桜の木が好きだった祖父・牧野富太郎さんに向け、桜の句が書かれた色紙をプレゼントしたこともあったそうです。
曾孫:岩佐吉晃(四女・玉代の孫)
岩佐まゆみさんの息子にあたる岩佐吉晃さんは、牧野富太郎さんとは「曾祖父・曾孫」の間柄です。
成蹊大学のOBで、日本石油ガスで働いていたほか、現在は東京都杉並区にあるOMC(Ogikubo Malt Club)というウイスキー倶楽部の代表を務めているとのこと。
朝ドラ「らんまん」の制作が決定した後、牧野富太郎さんの故郷・高知県を訪問したことがFacebookで報告されていました。